正史では「大橋」とされ、橋公の娘で孫策の妻としか記述されていない。『三国志』周瑜伝によれば、199年12月、妹と共に皖城を占領した孫策軍の捕虜となり、孫策の妻妾の一人に加えられた。裴注の『江表伝』には、孫策が小橋を娶った周瑜に「橋公のふたりの娘は故郷を失うことになったわけだが、われわれを婿どのにすることができたのだから満足だろうよ」と言ったという。しかしその後、四ヶ月足らずで孫策が死亡、所生の子供の記録もない。孫策の妾にされた直後、袁術・劉勲の妻子らと共に呉(江蘇省蘇州市)へ送致された後の消息は一切不明である 。